手に入れた、平穏な生活は。
毎日がキラキラと輝いて。
晴れていたって、雨だって。
一緒にいられることが、幸せだから。
***
大学生になれば、今までよりも一緒にいられるかと思ってた。
実際の所、学部は違うし、すれ違う方が多くなってしまった。
一日中一緒だったあの一時こそが、非日常なんだとわかっているけれど。
今日の授業は二限から。朝はちょっとのんびり出来ると思ってベッドの中でぐずぐずしてたら。隣の家から「いってきます」という声が聞こえて。
慌てて窓を開けてみたら、見えたのは小さくなっていく後ろ姿。
最近ずっとこんな調子。
グループ発表の準備とか、結構多い課題とか。そういうものにも時間は取られて。
何があったって、ずっとずっと、一緒に。
「って、思ってたんだけどなー……」
とりとめのない思考。最後の言葉だけが音になって。
講義の後、まっすぐ家に戻るのも、何となくいやで。
足は自然とこの場所へ向かっていた。
最初は同じ学科の女の子に連れてきてもらったお店。
大学から徒歩十分弱という距離の割に、学生ばかりで騒がしいというワケではない。位置関係で言うと、駅とは真逆にあるからかもしれない、
長時間だべる為の場所、という意味では、ちょーっとお値段も高めなんだと思う。インスタントの紅茶なんて論外! と主張するようなコダワリがあるなら、このお値段は十二分に満足出来るモノなんだけどね。
つまり、貧しい学生がそうしょっちゅう入り浸れるわけではない、ってことなんだけど。
幸か不幸か、元々おいしいお茶を飲むということにこだわる私には、ものすごく落ち着く大事な場所になった。
週に一度は通ってる。
海や月人が一緒だったり。ごくたまには、他の友達が一緒だったりするけれど、結構ひとりのコトが多いと思う。
ひとりでものんびり出来てしまうのが、ここの魅力。
携帯の電源も落としてしまって。腕時計も外して。
時間を忘れてしまえる場所。
「悩み事?」
アイスティーのグラスを置きながら、紅音さんがそっと言った。
「悩み事ってホドじゃあないんですけどねー。うーん、なんだろう。ちょっと、思ってたのと違うなぁって」
「大学生活が?」
「……うーん、なのかな」
運ばれてきたアイスティーのグラス。ストローでかき混ぜる。
カラカラとグラスの中で氷が音を立てて、ふわりと香るのはオレンジの香り。
紅音さんにおまかせにすると、その日の天気にぴったりのお茶を出してもらえる。このセンスはすごいと思う。
紅音さんはオーナーの妹さんなんだそうだけど、オーナーは別にお仕事を持っていて(絵本作家さんなんだって!)実質このお店は紅音さんが仕切っているらしい。
「理屈でわかっているっていうのと、感情で納得するって違うんだなぁ……」
「わかってるようで、わかってなかった?」
唐突な話なのに、紅音さんはいやがらずに付き合ってくれる。まあちょうど、他にお客さんがいないからなんだけど。
毎週の様に通う内に、もうすっかり常連になってしまって。いつの間にかいろいろな話が出来るようになった。
お姉ちゃんがいたら、もしかしたらこんな感じなのかも。
緩く編んだロングヘアとか。ふわりと微笑うその笑顔とか。
とても素敵な人だと思う。
“わかっているようで、わかってない”
そういうこと、なんだろうか。
あたしたちは、あれだけぶつかって、ぶつかって、ずっと抱えていた思いをそれでも未来につなぐと約束したのに。
こんな簡単なことでも、不安になる。
離ればなれになったわけでもないのに。
「揺らぐことのないような、絶対大丈夫なものだと思ってたのかも。……こどもみたいですか?」
「そんなこと無いんじゃないかな。結構ね、その時にならないとわかってなかったなぁって思うことは、あるから」
「紅音さんでも?」
「私だって、そんなに大人じゃないのよ?」
いたずらっ子の表情で、そう言った後、不意に遠くを見るような瞳で、こう続ける。
「でも、やっぱり毎日は大切にしないとね」
「え?」
「無くなってから、大騒ぎしても遅いぞ、ってコトかな」
そう言った時には、紅音さんの顔はいつも通りで。
「そうだ。香月ちゃんに食べてみて欲しいものがあるんだ」
急に思い出した、という様にそう言って、奥からケーキの乗ったお皿を持ってきてくれる。
「イメージもだいたい固まったし、陽気も良くなってきたから、来週くらいから出そうかなと思って」
「うわ、きれいー。レアチーズケーキ? 新作ですか?」
「そう。今年の新作。夏限定レアチーズケーキ」
四角くカットされたケーキの回りには、グレープフルーツが並んで。ケーキの上にもグレープフルーツのシロップがかかってる。
一口すくって口に運ぶと、甘すぎずとってもさわやか。
「おーいしー」
これなら、甘いものがそんなに好きじゃない海でも、食べられるかもしれないな。
自然にそんなコトを思う自分に苦笑する。
そのくらいに、彼といるのは当たり前のことなのに。
何を悩んでいるというのだろう。
ずっとずっと、時間をかけて来たというのに、どうしてこんな風にもろいんだろうなぁ。ちょっと悲しくなってしまう。
「香月ちゃん」
一口食べたきり黙ってしまった私に、紅音さんが声をかける。
「意外とね、思ったその勢いで行動しちゃった方が良いコトってあるのよ?」
坂の上に来たらね、走り出しちゃうの。
「一緒に食べたいなって思ったなら、呼んであげれば?」
そう言って、紅音さんが微笑った瞬間。
カランと音を立てて、ドアが開いて。
「ああ、やっぱりここだった」
姿を見せたのは、海だった。
「ったく、お前なぁ。ケータイの電源切って行方不明になるな。月人も何も聞いてないっつーし」
家にもいねーし。
文句を吐きながら隣の席に座った海の額には、汗がにじんでいた。
紅音さんが出してくれたお水を一気に飲み干して、疲れ切った、という様子で、ぱたぱたと自分の顔を仰いでいる。
「……探し、たの?」
「おうよ」
「だって、夜なら家にいるってわかってるのに……」
「あのなぁ」
会いたいと思ったら、走り回ってでも会いたいだろうが。
“坂の上に来たらね、走り出しちゃうの”
さっきの紅音さんの言葉が、頭の中で回ってる。
「ね、これ。おいしいから、食べてみない?」
その日、あたしたちは、ふたりでケーキをはんぶんこして。
夕焼け空の下を、手をつないで、ゆっくり歩いた。
***
手に入れた、平穏な生活を、
もっともっと、素敵な毎日にするために。
晴れていたって、雨だって。
一緒にいよう。それが幸せ。
You're the only one, special one.
初出:会員制サークルエレメント会報24号(2007年6月発行)
とても、とても久しぶりに。
「書きたかったイメージをきちんとエンドマークまでお話にする」ことが出来ました。
本当はこのお話は、2007年5月20日のサイト7周年の時に公開したいなと思って考えた物だったのですが、間に合わなかったのですね(苦笑)。
エレメントの会報には別の物をと思っていたはずなのに、さくさくっと書けたのはこっちでした。
タイトルの“one”から考えた話で、加藤和樹くんのアルバム「Face」からもらってます。“カヅキ”が“カイ”に敵わないというお話を書きたくて。私に取って特別なふたりに、特別なタイトルでお話を作りました(だからこそ、サイトアニバーサリーに出したかっ……orz)。
そして“坂道見たら〜”は大好きな『晴天なり』シリーズから。これまた思い入れたっぷりの言葉です。
舞台はOrange Heartということで、ほぼ同じ頃の紅音ちゃんバージョンの話も考えてり、発表済(2008年12月会報にて)。サイトでも、いずれOrange Heart外伝として発表したいと思います。
ちなみに「月下茶会。」はこれより後のお話です。