「ここでバイトを募集しているという張り紙を見たんですが」
あの日、そう声をかけた俺は、あっという間に採用が決まった。
cafe “Orange Heart”
最初に店の中にいた女の人(多分、俺より2、3歳は年上)は、カウンターの奥から店長を呼んできた。
意外にも、店長は若い。ちょっとぽやっとした感じ、といったら失礼か。二十代後半……とすると彼女(あのひと)は奥さんなんだろうか。
「坂本拓海(さかもと たくみ)くん、ね。大学の三年? うん、採用。えーっと、土曜日からこれるかな。」
「は? えっと、あの……他に何も聞かないんですか?」
マジで名前と、歳くらいしか聞かれれないぞ? おいおい、これでいいのかよ。
「まあ、あとはやってみないとわからないからね。土曜日の……そうだな、十一時に来れる?」
「あ、はい。大丈夫ですけど」
「じゃあ、とりあえず初日は土曜日ね。えーと、服はシャツ着てきて。出来れば無地がいいけど、ある? 下はまあジーンズでもいいから」
さくさくっと、話を終わらせて。じゃあ土曜日ねと言って送られて。
それでいいのかと思いつつも、そのままになって。2日経過。
土曜日、10時50分。
まだ、“closed”のプレートのかかった扉を、おそるおそるあけた。
カラン。
涼しげなベルの音。
「おはようございますー」
ドアから顔を出すようにして声をかける。
「あ、おはよう」
カウンターの奥に、店長がいた。なんとなくほっとしたり。うーん、やっぱり緊張してるかな。
「荷物は奥におけるから。おいで、こっちだ」
カウンターから出てきた店長が手招きする。
「staff only」の表示がでているドアの奥に小さな部屋。
「トイレはここにもあるから。荷物はこっちの棚において。この部屋は休憩の時とか自由に使って良いから。今のところ、他にバイトさんもいないし」
え? そうなんだ。
「あの、バイトって俺だけ、ですか?」
「ああ、そうだよ。うちは元々家族経営でね。でもちょっと最近手が欲しかったんだ」
店長、ロッカーから黒いエプロンを出してきた。
「はいこれ。つけたら店の方に出てきて」
ギャルソンタイプのエプロン。今までこんなんしたことないから、なんか変な感じもするそれを身につけて、フロアーに戻った。
「お、似合う似合う。さてと、じゃあまずはフロアを案内するから」
バイト初日は、こんな風に始まった。
「メニュー覚えたりは、ゆっくりで良いから。最初はとにかくお客さんに丁寧にすることからね」
紅音さんはにっこりと笑った。
マスター――名前は滝沢さんというそうだ――に連れられて、フロアーに出たあと。俺はまず、この女性(ひと)に対面させられた。
「僕の妹で、紅音(あかね)だ。あとは紅音に任せるから。紅音、頼んだよ」
「了解。改めて、初めまして。紅音です」
白いシャツに、黒いロングスカート。長いストレートヘアを後ろでまとめている。シンプルなのに、どこかスタイリッシュという感じだ。
「じゃ、僕は上に上がるから」
「うん、あとでお茶を持ってくから。〆切明後日でしょう?」
「ああ、頼むよ」
そんな会話をして、マスターは引っ込んでしまった。
「……あの、〆切って?」
「ああ、お兄ちゃんはね、あれでも絵本画家なんです。どちらかというと、そっちが本業で。うちは元々親がこの店を始めたんだけど、3年前に両親が亡くなったので、それからはお兄ちゃんと私で続けてるんです」
そういう、ことなんだ。
「あ、すみません、なんだか立ち入ったことを……」
「気にしないでくださいね。うちの事情は知っていてもらった方が良いと思うから。お兄ちゃん、〆切近くなるとほとんど店に出てこないこともあるから、お願いします」
それから、紅音さんは、フロアーを案内してくれた。
南側は、ガラス張り。外は庭だ。壁(というかガラス)に沿うようにテーブルが3つ。カウンター席が5つほど。カウンターはL字形だけど、客席はカウンター部分を中心にコの字形になっている。カウンターの逆側は壁に備え付けのソファーが多いテーブル席。長居をしたい人には向いてるかもしれない。
「うちの営業時間は、平日と土曜日は11時から夜の7時まで。日曜日は9時半から7時までです。お客さんは近くの学校の生徒さんが多いから、日曜日は半分はお休み。1日のメニューの種類は少ないけど、日によって変わるので、それには気をつけてください」
「えっと、料理は紅音さんが?」
「ええ、だいたいのものは私が。ケーキとデニッシュ類が一日数種類ずつ。あとはランチメニューね。クリスマスとか特別な時はまた別のものもあるんだけど、それはその時期に覚えてください。……あとは、なにか聞きたいことはあります?」
紅音さんがそう問いかけてきたとき。
「ただいまー」
カランっと扉が開いて、1人の少年が入ってくる。
「結人(ゆうと)! また店から入って……」
「いーじゃん、どうせまだ客もいないし。それに俺、今日はミーティングだけだったからほこりまみれでも汗まみれでもないよ」
「そういう問題じゃないでしょう」
察するに、サッカー少年。肩から提げたスポーツバッグのメーカーで、予測してみる。
「ごちゃごちゃ言うと眉間にしわ寄るよ。っと……えーと、新しいバイトの人?」
そこで、初めて彼は俺に気がついたらしい。立ちつくしたままのこっちに顔を向けた。
「あ、はい。坂本拓海です」
「俺は結人、ここの3兄弟の末っ子。高2。俺も店に出ることがあるんでよろしく」
彼は人なつっこく、笑った。
cafe "Orange Heart" 現在の構成メンバーはマスターと、パティシエでもある紅音さん、高校生の結人くん。それから、バイト1名。
2008年サイト改装にあたって、ページ編集(一話、二話を同ページにまとめました)。
とりあえず、レギュラー紹介お終い。