その人に、初めてあったのは、桜の季節。
中学二年の春の事だ。
俺は、九州から親の転勤が理由で引っ越してきた転校生ってやつで。
転入した学校に通い始めたその週だった。
九州では引っ越しの頃に満開だった桜が、ここではもうすぐ満開になる。
得したような、なんか不思議な感じだ。
桜、もともと好きなんだよな。
通学路の途中に、桜並木があって。つい、足を止めちゃうんだ。高台の住宅地で、海も見えたりして。越してきて最初に見つけたお気に入りスポットだ。
最短ルートではないけど、朝はこの道を通る事にしている。
その日の朝も、ちょっと早めに家を出て、桜並木で足を止めた。見上げたときに、桜の間から太陽の光がそそぐのが気持ちいい。これが、もう少しすると葉の緑が混ざってくるんだけど。まあ、それはそれで好きなんだよな。
しばらく、桜を堪能して――ここは人通りが少ないのもいい――そろそろ行かなくちゃと、歩き出そうとした時。向こうからやってくる女性がいた。
長い、黒髪、さらさらのストレートヘア。年は二十歳過ぎ位だろうか。
淡いグレーのブラウスに、黒のロングスカート。
彼女が、すぐ前まで歩いてきて、俺は歩道を塞いでいることに気が付く。
「すみませんっ」
あわてて端によけた。
「いえ、こちらこそ」
会釈して、そして静かに歩いていく。
――すごい美人……。
肌は白くて、目は綺麗で。足を止めたまま、じーっと見てしまう。
歩いていくのを、振り返って見てしまった。
“ピピッ”
腕時計のアラームがなって、我に返る。
「やべっ、また遅刻しちまう……」
一昨日、転入そうそう、桜に見とれていたせいで遅刻、なんて事を俺はやっていて。腕時計のアラームを設定したんだ――遅刻しないように、ってね。
あわてて学校指定のバッグを背負い直して、俺は走り出した。
桜が散ってしまうまでの間に、俺は何度かその人とすれ違った。
仕事に通っているっていう風でもないんだ。朝の八時前なのに。荷物は大して持ってなくて。だけど散歩って感じとも違うような。
気になって、気になって。
俺は桜が散ったあとも、毎朝、遠回りをして、並木道を通った。
わかったのは、服装がほぼすべてモノトーンだって事。モノトーン、しかも黒い服がかなり多い。白いシャツを着ていても、上から黒のカーディガンを羽織っていたりして。
それと、たまに花を持ってることがあるってこと……。
すれ違うだけだから、自信を持って言えるわけじゃないけど、あんまり笑顔でいる感じがしない。物静かそうと言えばそこまでなのかもしれない。でも、あのひとは、笑えばもっと楽しそうな表情になるんじゃないだろうか?
すれ違うときの彼女は、どこか寂しそうだ。
教室に滑り込んだのは、始業チャイムすれすれ。
「葵、今日もぎりぎりー」
「るせい。遅刻してなきゃおっけーだろ」
五月も後半になると、学ランはかなりきつい。上着を脱いで走ってきたけど、汗かいちまった。下敷きをうちわ代わりにして、ぱたぱたとあおぐ。
「んで、葵。今日は会えたのか? “桜の君”」
「慶、お前なー」
転入してから一番仲良くなった慶は、ずっとこの街で育ったというやつだ。だから、何かわかるかもと思って彼女の事を話したんだけど。正直、やめときゃよかったと思う。
慶から得られた情報はなかったし、こいつは毎朝日課のように「今日はどうだった」と聞いてくるし。
おまけに勝手に“桜の君”なんて呼び名をつけてしまった。
「いーだろ。聞いたって。で、どうだよ、会えなかったのか?」
「……会えなかったよ」
「なんだ、今日も進歩なしか」
よけいなお世話だ。だいたい進歩ってなんだよ。
別に、どうこうってわけじゃないんだよな。ただ、気になってる。それだけ。
どこの誰なんだろうとか。なんでいつも黒っぽい服ばっかりなんだろうとか。あの花はなんなんだろうとか。気になるだけ。
話しかける勇気があるわけじゃないし。ただ、すれ違うだけ。
でも、もしかしたら、これは。
恋って呼んでも良い気持ちなんだろうか。
そんな風に、気になりながら。日々は過ぎて。
朝、週に何回か、すれ違う。そんな事が続いたまま、季節は巡って。
その日。梅雨に入ってた最初の日曜。慶が朝イチで電話してきた。
「部活が雨で休みになったんだよ。遊び行こうぜ」
正直、雨の中出かけるのも……と思った。俺は本来インドア志向だ。だけど、横でやりとりを聞いていた母さんに、家にいても邪魔だと言われて。
慶と、慶のサッカー部仲間がふたり、俺を入れて四人で、街へ出た。
昼飯のあと、新作が入ったからと、慶に引っ張って行かれたゲーセンで午後はさんざん遊んだ。
俺はもともとあんまり得意じゃ無いんだけど。気が付けば、一緒になって結構騒いでいた。ま、たまにはこういう休みも悪くないか。
「あー、遊んだ遊んだ。すっとしたー」
店を出たところで、慶が伸びをしながら言う。
「そりゃあ、あれだけ大騒ぎすりゃあすっとするだろうよ」
途中からは半ば呆れてたぞ、俺は。俺達だってだいぶ騒いでたけど。慶のは半端じゃ無かった。
「甘い、甘いぞ葵! 俺達が日頃部活でどれだけ苦労してると思ってるんだ」
慶が俺の肩をがしっとつかんで言い出す。
「俺たちと入れ違いで卒業した学年から、サッカー推薦で名門に行った先輩がいるからって、顧問が燃えてるんだよ。ったく、お前の才能で滝沢先輩が推薦とったんじゃねーつーの」
「あー、はいはい。その話はいくら言ったってしょうがないだろー」
「思い出したらまた腹立ってきた、ったく」
「わかった、わかったから。なあ、なんか食おうぜ。腹減ったからよけいに腹立つんだよ」
三人で慶をなだめすかしながら、歩き始めた、そのとき。
――彼女だ!
車道の向こう、傘を差して歩いてくるひと。間違いない。
「慶!彼女だ!」
服装は、いつも通りのモノトーン。でも、白いニットのせいか、いつもより全体の印象が明るい。それに、傘はパステルブルーの花柄だ。
「え? ウワサの“桜の君”? どれどれ……」
慶が伸びをするようにして見ている。
俺も、食い入るように見ていた。
いつもの彼女よりも、表情が明るい気がしたから。
朝の彼女とは違って、どこか楽しそうな気がしたから。
「……へぇ。ほんとに美人じゃん」
彼女が行ってしまった方角を見ながら、慶が言う。
「葵、いつも寂しそうなとか悲しそうなとか言ってたけど、そんな風には見えなかったぞ?」
「や、なんか今日は違った。いつもはもっと、違うんだよ。うまく言えないけど」
「へぇ……。デートだな」
にやり、と慶が言う。
「……別に、デートだっていいじゃんかよ」
「そうなのかなー。ふーん、葵君、それで良いんですねー?」
「ばか! うるさいよお前」
へー、ほー、ふうーん……っと続ける慶。あー、むかつく。
なんとか、慶を黙らせないと……。
「……俺、あの人どっかで見たなぁ」
一緒になって見ていた、サッカー部のやつ――角沢っていう奴だ――が、急に言った。
「え!?」
「どこだったかなぁ……。なんか見覚えが……」
「あ、そう言われてみれば確かに……」
首を捻る角沢の隣で、もう一人、今野もそんな事を言い出す。
「どこ! どこで見たんだ?」
思わず詰め寄るようにして聞いてしまった。
「や、そこまでわかんねーって。おい押すなってば」
「……俺と角沢で共通なんだから……多分サッカーがらみだと思うけど。悪ぃ、思い出せねーや」
結局、そのあとふたりは、それなりに一生懸命考えてくれたのだが。
どこで彼女を見かけたのかは、わからずじまいだった。
そして。
中学卒業と共に、俺の家はまたしても引っ越しをすることになり。
結局彼女の事も、朝すれ違うという以外にはなにもわからないまま。
俺はこの街を去ることになった。
四年後――。
「変わらないな、この桜は……」
あの、桜並木で。俺はそう呟いて、空を見上げた。
去年の桜は、忙しくてゆっくり堪能出来なかったけど。今年はのんびり桜を楽しんでいる。
去年、大学に入ると同時に、この街に戻ってきた。
今度は、親を説き伏せての一人暮らしだ。
二年しか住まなかった街だけど。俺はこの街が気に入っていたから。大学も、ここに決めた。
「あおいー!」
呼ばれて、振り返る。
かけてくる長い髪。
一瞬、彼女の姿が心に浮かぶ。
――違う、そんなはずない。
一度瞬きして。声を出す。
「遅いぞ由梨!」
そう、かけてくるのは、去年から付き合ってる、俺の彼女だ。
「ごめん! ほんとにごめん〜〜! 忘れ物しちゃったのよー」
「……昼飯、おごりな」
「えー。そんなのなしー。けちー」
「あのな、まだ休みだってのに、朝から俺を起こしたのは誰だ」
いきなり“行きたいお店があるから付き合って”だ。まったく。
「だって、すっごい素敵なお店なのよ! ぜったい、葵も気に入るから! だからおごりの話はなし〜ってことでー」
まったく。呼び出しておいて遅刻して。これだもんなぁ。
「わかったわかった。気に入ったら、おごりはなしにしてやるから。んで、なんて店だって?」
「“オレンジ・ハート”ってカフェよ。マスターがすっごい素敵なのー」
「ようこそ、Orange Heartへ――」
数分後、ドアを開けた向こう。
俺は、四年ぶりに彼女に再会した。
長い髪はそのまま。
白いブラウスに、淡い春色のスカート。満面の笑み。
それは、俺が初めて見た、初恋の人の笑顔だった。
会員制サークル「エレメント」会報9号(2004年12月発行)に掲載用創作として描いた作品。
「Orange Heart」の外伝というか、関連作品というか、でした。
1回だけの登場人物が多くて、名前を考えるのが大変でした(そして、当たり障りのなさそうなところからどんどんもらってきた……と)。
一応「Orange Heart本編(現時点での進行分)を読めばわかる」という部分もそれなりにいれて、でもお話は出来る限り独立させるという目標がありました。
サイト公開までに、もう少し本編を進めたい、というのもあって、ここで公開しようか迷ったんですけど(苦笑)。
せっかくの節目なので、ここでお目見えです☆
この作品があることで、Orange Heart本編の時間軸もある程度固定されるので、それを意識しながらこれからの連載を進めていこうと思います。