私だって、もう少しだけ、自己主張していたら、もしかしたら……。
そう、思わないわけじゃないんだけれど。
今の自分を許せているから、今の自分を好きでいられるから。
しばらくは、このままで良いと、そう思っている。
「……うん、わかった。ちゃんと帰るから。……もう始業時間だから、切るよ? じゃあね」
始業前の休憩室は、私以外誰もいない。
そういう言い方は違うかな。誰もいないから、ここで電話をしている。
相手は母。電話の内容には「こんな時間に電話しなくても」という小言も含まれていたけれど、こんな時間でもないと電話出来ない、というかしそびれてしまう。夜はたいてい遅いから、母の生活サイクルと合わないのだ。それを理由に、かけなくても小言だし、かけても小言は付いてくる。
まあ、始業時間を言い訳に電話を切れるっていう理由もあることは、認める。
娘が一向に結婚する気配を見せないのが、母としては心配なんだろうけど。私は、今の生活を楽しんでいるし、そんなに焦るつもりも、ない。
「ま、その内、ね」
ぱたん、と閉じた携帯電話に向かってそう呟いて、ポケットに滑り込ませる。
休憩室を出たところで、今はちょっと顔を見たくない人間に、鉢合わせた。
「おう。おはよーさん」
「おはようございます」
原田和磨。我がプロジェクトのリーダー。肩書きは主任。入社時期では三年違うけど、うちのセクションではすぐ上の先輩、ということになる。
「なん? 朝っぱらからおもしろくなさそうな顔しちゃって」
いきなり、不機嫌を読み取られる。相変わらず、鋭い。だから今は顔を見たくなかったっていうのに。
「そう見えます?」
単に付き合いが長いからなのか。この人が特別に鋭いのか。昔は別に、特別な理由があるだろうかと思っていたこともあったけれど、今はもう、それを理由にしてはいけないだろう。淡い思い出というのもちょっとムリがあるけれど。
主任の指に光るリングには、目をやらないようにしている自覚は、ある。
「いつものことですよ。母との定期便」
フロアへの廊下を一緒に歩き出しながら、そう続ける。だいたい、プライベートな状況もこの人には把握されてる。
職場の中では、『私』の事情をお互い一番に把握しているだろう。
「ああ。また『忙しいから帰れないー』とか言ったんだろ」
「それが、根負けして、帰るって言っちゃったんですよねぇ。休めますかね、土曜」
ここのところ、プロジェクトが追い込み段階で、残業と休出が多いのだ。
「ああ、まあ、しょうがないだろ、行ってくれば?」
「すみません」
あれ。意外とさくっとオッケーが出た、と思ったら。
「代わりに俺、来週休むから。有給付きで。だからその間よろしくー」
「えー! それって来週は絶対出ろってことですか!」
油断も隙もない。
「まあまあ、お互いちゃんと休みは取らないとなっ。体あっての……だろ?」
軽いノリでそう言って、主任は先にフロアに入っていく。
「おはよー」
「おはようございまーす」
気がついて声をかけてくるみんなに挨拶を返しながら、主任は自分の席へ。
「大野さん、おはようございます」
後ろから来た朝ちゃんに声をかけられて、自分が立ち止まっていたコトに気がついた。
「あ、おはよう朝ちゃん」
そして、不自然にならないように、歩き出す。
「聞いてよ朝ちゃん。主任ってば、来週平日も休むってー」
「えー。この忙しい時期にですかー?」
自分の都合は棚上げして、そんなコトを軽い調子で振ってみた。
そして今日も。忙しい1日が始まる。
今日もこの声に癒される。代わりばえしない自分がいる。
そんな、相変わらずな私でも。
それでもいつか。
そう願って、今はまだ、このままで。
初出:会員制サークルエレメント会報33号(2009年2月発行)
LIB本編になるような話を書こうとしていたはずが、脱線しました……。朝美と同じプロジェクトに所属する大野さんのひとりごとでした。
どうにも、原田主任がやたらとかっこよくなる話ばかり思いつく。
主任はねー「無駄にイイオトコすぎて腹が立つ」系統の人です。私がそういったらそうなんだ(笑)