草の庵を……

 運び込んだ荷が片づく頃には、太陽はすっかり山の陰に入ってしまっていた。
 暮らしに必要なものだけを選んだつもりでも、蒼也の仕事道具が多いこともあって、荷物はいつの間にかふくれあがっていたから、一日ですべて片づいただけでも、よしとするべきかもしれない。

 新しく作った炉に火を熾して。
 ふたりで、炉を囲んで。湯を沸かす。お茶をいれる。
 人心地ついたとたんに、遥は昔のことを思い出した。

――なにもおまえがここを使うことはないだろう。
 そんな風に親には反対されたけれど。
 ふたりで暮らすことを決めたとき、この場所にしようと思った、その理由。

 なにより、蒼也の仕事にこの場所は向いてるし。
 遥自身も、この場所はお気に入りだったし。
 それから、もうひとつ。この場所にこだわった、特別な理由……。

「遥さん、何か思い出してるでしょう?」
 向かいに座っていた蒼也が顔を上げて聞いてきた。
「ふふ、わかる?」
「今、僕のこと見てませんでしたからね」
 蒼也はすぐにこうやって、むくれたような顔をする。
 もともと年よりも幼く見られがちな顔が、まるで子供のようになる。
「あのね、昔の事を思い出してたの」
 教えてあげるね、この場所であったこと。
 遥はゆっくりと話し始めた。

 それは、遥が蒼也に出会うよりも数年前の話――




 歩くうちに、だんだんと汗ばんでくる肌。
 背負った荷物を支える手が、汗で滑る。
「よいしょっ……」
 声とともに、背中の荷物を背負い直した。
 こうして、半時ほどの時間をかけて山を登るのが、その頃遥の日課だった。

 新緑がまぶしい木々の間を抜けると、不意に開けた場所がある。
 そこに、彼は居を構えていた。
「雨風をしのぐことができればそれでいい」と、そういう彼の望みに沿ってつくられた庵。
「村の中なら、何かあっても安心だし、便利なのに」と村の大人たちがいくら言っても、彼の返事は「否」で。
『私のようなものには、このような場所での静かなくらしでよいのですよ』
 彼はそう言って微笑んで、この場所を選んだ。


「秀澄さまー?」
 荷物を下ろして、上がり口に置くと。遥は中へ向かって声をかけた。
 中、といってもただ一室。
 応えがないので、室内をのぞき込んでみるが、寝起きするための場所とを仕切る衝立の向こうにも、秀澄がいる気配はない。

「どこいっちゃったんだろう……」
 荷物はそのままにして、裏手にまわってみる。
 食事の支度に使うための竈があるが、火は起こされていない。
 竈は、冷え切っていて、今日使われた形跡も無い。

 急に不安になってきた。
「秀澄さまーっ!」
 とりあえず、大きな声で呼んでみる。
 普段の秀澄なら、姿が見えなくても、声の届くところにいるはずだった。
 応えが無いかと、耳を澄ましてみるが、なにも聞こえない。


「秀澄さまーっ!!」
 遙は、声を出しながら、林の中を探すことにした。。
 庵から呼んだのでは声が届かないとしても、秀澄がいるのはそう離れた場所のはずがない。
 なぜなら、秀澄は。
 遠くまで行きたくとも行けないのだから。


 秀澄が、この土地に住むようになったのは1年ほど前のこと。
 1年前。この地方をおそったひどい嵐の時。街道沿いの川の堤防が決壊した。偶然、そこを通りかかった親子が、流れに巻き込まれかけたのを助けたのが、秀澄だった。そして秀澄は、右足を失う怪我を負ったのだ。
 親子は、遥の村の人間で。
 秀澄の怪我が一通り癒えた後も、村で面倒を見ることになった。
 元は都にいたという秀澄は、村の子供たちに読み書きを教えたり、男たちの相談に乗ったりした。そしてかわりに、身の回りの世話を村人たちがする。
 読み書きを習い始めた子供たちの中で一番年長であった遥は、秀澄にすぐになついて。じきに一人で秀澄の面倒を見るようになった。
 
 
「秀澄さまーっ! いたら返事をしてください! 秀澄さまー!」
 歩くうちに、庵から随分離れたところまで来てしまった。
 のども渇いてきたし、いったん、庵まで戻ってみようか。もしかしたらどこかで行き違ったのかもしれないし。
 そんな事を思ったとき。

 かすかに。自分を呼ぶ声が聞こえた。

「遥、ここです」
 二度目の声は、もっとしっかりと遙の耳に届いた。
「秀澄さま!?」
 あわてて声のする方を向くと、林の奥に、秀澄の藍の着物が見えた。
 木にもたれて、座り込んでいる。
「いったい、こんなところでなにをしているんですか! ずいぶん探したんですよ!」
 驚きと、それから気が抜けたこともあって、怒りすら感じる。
 ずかずかと近づきながら、遥は秀澄にむかって怒り始めた。
「しっ。遥、静かに。やっと、寝てくれたところなんです」
「なにを言ってるんですか!」
「だから、静かに。……ほら」
「いったいなにが……きつね?」
 秀澄が、そっと手を開いて、遥に見せる。
 それは、まだ生まれて間もないだろう、子狐だった。
「親とはぐれたのか、ひとりでね。そもそもこんな状態の子狐が、巣穴から出歩くはずも無いのだけど」
「よく、見つけましたねぇ」
 庵から、離れた、普段だったら来ないような場所で。
「ああ、なにか、呼ばれたような気がしてねぇ」
「それで、こんなところまで? 呼ばれたような気がしてって……」
「本当に。そんな気がしたというだけなのだけど。あんまり気になるので、朝ご飯も食べずに、探しにきたんですが、この子を抱いたら、杖が使えないでしょう、ひとりでは戻れなくて、困っていたんですよ」
 遙が来てくれて助かりました、と笑顔で秀澄は言ったが。
 朝も、食べずに、というところで、狐に見入っていた遥の眉が跳ね上がる。
「秀澄さま……、今なんて言いました?」
 しまった、口を滑らせたと、秀澄が顔をそらせるが。
「朝ご飯は一番大事っていつも言ってるじゃないですか!」
 遥のお説教は延々続いた。




「それで、そのあとどうなったの?狐を見つけたのが、ここを使うことにした理由じゃあないよね?」
 ほとんど、口を挟まずに話を聞いていた蒼也が、そう尋ねた。
「ううん、話はまだ続きがあるわ。その、狐をみつけた日、山を下りながら、秀澄さまが急に話し出したことがあって」




「遥、私が村から離れた場所に庵を建ててもらった理由ですけどね」
 秀澄の足を気遣いながら、ゆっくり山を下る途中。ふたりは黙ったまま歩いていたが、不意に秀澄が話し出した。
「古い書に、こんな言葉があります。『草の庵を誰かたづねむ』という言葉です。遥、意味はわかりますか?」
 話された内容が、思いがけないことだったので、遙は驚いたが、聞かれたことに答えようと必死で思い出す。
「えーっと……、『こんな粗末な家を誰か訪ねてくれる人がいるでしょうか』でいいのかなぁ」
「そうですね、だいたいそんな意味です。私はね、誰も訪ねる人がなくなって、忘れ去られてしまっても、それで良いと思っていたんですよ。わざわざ、私を訪ねてくる人など、じきにいなくなる、とね」
「……秀澄さま、なにを、言って」
 続けられた言葉が、あまりにも意外で、遙は言葉に詰まってしまう。
「最初は、それで良いと思っていた。先は長くなくても構わないとね。私は、自分でどこへ行くこともできないし。……ああ、別に誰かを恨むとかそう言うことでは無いのですけどね。それに。こんな私でも、必要としてくれる人はまだまだいるようだし」
 遙が抱いていた、子狐に視線を送って、秀澄はゆっくりと語った。
「そうですよ! この子だってそうだけど、村の大人だって子供たちだって、秀澄さまがいてくださって良かったと思ってるんです! 自分をそんな風に言わないでください!」
「ああ、そうだね」
「本当にそう思ってるなら、最初からあんな事は言わないんですよ」
 遙は肩をすくめると、歩調を少し早めて秀澄の少し先を歩くことにした。怒りたいような、あきれたような、今の顔を見られるのは、いやだったので。




「それから、しばらくしてね。秀澄さまを探して、ひとりの女の人が村に来たの。昔、秀澄さまがまだ都に出仕していた頃に、出会ったっていう、とってもきれいな女の人」
 その人は、生死のわからない秀澄を探して、生まれ故郷を離れ、旅をしてきたのだという。
「その人は、元は遊女でね、秀澄さまは大きな仕事をひとつ終えたら、その人を身請けするつもりだったんだって。だけど」
 都から、戻る途中に、この地で秀澄は足を失って。
「私たちには、なにも言わなかったけど。秀澄さまはずっと、その人のことを想っていたと想うの。でも、今の自分にはもうどうすることもできないからって、あきらめて」
 いつか忘れ去られても構わない。その言葉は、想い人へあてた言葉。
 自分のことなど、忘れて、どうか、いつかは、幸せに――。
「でも、秀澄さまには奇跡が起きたのよ。今も、幸せに暮らしてる。だから―」
「だから、遙さんはこの場所を選んだんですね」
 遙の言葉を引き取って、蒼也が続けた。


 この場所で、奇跡が起きたように。
 この場所で、どうか幸せに過ごせますように。

2004/05/18 LIBRALY 1へ

「大変お待たせいたしましたv」だったこの作品は、突発キリ番認定をした15651HITリクエスト作品です。
あづさゆみ嬢のリクエストで、リクエスト内容は「草の庵」でした。
私がイメージできたものが、いろいろ他のお話とつながるものになってしまい、あづさゆみ嬢の了解の元、今回このような作品になりました。
「それでもいいです」と言ってくださったあづさゆみ嬢ありがとうございました。


「草の庵を誰かたづねむ」は、『枕草子』から。系統によって、何段か変わってしまうのですが、私の手元の『枕草子』だと75段になってます。頭中将とのやりとりの段ですねー。
仮名遣いは私の手元の枕草子(三巻本枕草子:武蔵野書院刊)に従いました。まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
私最初、大学で『枕草子』やりたかったんですよねー。なのに、ぜんぜん違う方向に進んで、卒論は近世だし、学科の授業より資格(図書館司書)の方に熱心だった学生時代……。
3年の時に「とるならここでとらねば!」と履修した作品論が『枕草子』でした。でも金曜日で、1〜5限フルで授業あって……めちゃくちゃつらかった記憶が(苦笑)

秀澄は「ほずみ」と読み蒼也は「そうや」と読んでましたが、遙はヨウでもハルカでもいいやーという。 ヨウと読むと「遙さん」となったときに語呂が悪い気がします……。字面で決めたからなぁ……。

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